何も見るべきTVがないので、仕方なしに録画してあったこの映画を女房殿と一緒に見始めた。
すぐにぐいぐいと引き込まれ、食い入るように映画を観ていた。
正直、こんなに凄い映画だとは思っていなかった。
名画である事は勿論意識していた。
だから録画したのだ。
だが、観るのはもっと後、ひとりで観ることになると思っていた。
長編映画なので、もっとゆっくりしたテンポで話しが進むものと考えていたが、それはあっさりと裏切られた。
軽快なテンポで、どんどん話しが進んでゆく。
そのテンポとスカーレットの性格が呼応して、映画の魅力が存分に発揮されていると思う。
この映画は、1939年にマーガレット・ミッチェルの大ベストセラー小説『風と共に去りぬ』を元に制作されている。
監督はヴィクター・フレミング。
脚本はシドニー・ハワードの担当。
撮影は「テレヴィジョンの王様」のアーネスト・ホーラーで、レイ・レナハンとウィルフリッド・M・クラインが色彩撮影に協力している。
あらすじを述べようと思ったが、頓挫した。
長すぎる。
根強いファンに未だ支えられているのだろう。こんなサイトも作られている。
こちらに譲ろう。
だが、南北戦争と言えば、私の中ではこの『風と共に去りぬ』なのだ。
スカーレット・オハラの強気な性格は、樫の木屋敷のお嬢様としての始めの頃は、困った性格として描かれているが、戦局が北軍の優位に傾き、スカーレットの身の回りが慌ただしくなってくるに従って、その性格が魅力的なものとして輝き始める。
スカーレットはやがて看護婦として働き始める。ここからの描写は凄まじいものがある。
出産を控えたメラニーの為に医者を捜し求めるシーンは広い駅前広場一面が、傷病兵によって占められた状況を映し出す。
一体このシーンに幾らつぎ込んだのだろう。
俯瞰するカメラは広場全体を映し出し、被害の大きさを描写する。壮絶な混乱。その中でスカーレットは奮闘を始める。
しかし、この時はまだ、「自分勝手なお嬢様」だ。
死臭立ち籠める看護の仕事に嫌気が差し、とっとと止めて故郷のタラに帰ろうとする。
それを助けるのはチャールズトン生まれの船長で素行の評判の良くないレット・バトラーだ。
南北戦争の終盤、炎に包まれるアトランタを命からがら脱出するシーンもまた凄まじい。
Post Disaster Growthという言葉がある。
災害の後人は成長することがあるというのだ。
今回の日本の東日本大震災でもそれが指摘されている。
スカーレットのこの混乱の中での成長はまさにそのPost Disaster Growthそのものだと思える。
レットは途中ひとり戦線へ向かい、のこされた2人はやっとの思いでタラの地に着くが、すでに廃墟になって、北軍にすっかり蹂躪されたあとだった。
飢えたスカーレットは畑に生えている泥だらけの大根をそのまま貪りはじめ、その惨めさに一度は突っ伏し、激しく号泣するが憤然と立ち上がって宣言する。
As God is my witness, I'm going to live through this and when it's all over, I'll never be hungry again. No, nor any of my folk. If I have to lie, steal, cheat or kill.
神様…私は二度と餓えません!私の家族も飢えさせません!その為なら…人を騙し、人の物を盗み、人を殺してでも生き抜いてみせます。
この前半最後のシーンは感動的だ。
そのシーンで見る夕焼けは、冒頭で父親と共にアイルランド人としての自覚を覚えたシーンに重なる。
あの有名な音楽がそれに重なる。
音楽はマックス・スタイナーが担当している。
書き出してみると、とんでもなく利己的な台詞とも思えてくる。しかし、もはや映画に飲み込まれ、スカーレットと同化している私にはそうは聞こえない。
スカーレットの持ち前の強気な性格、そして生きる事への強い情熱が、その台詞に存分に込められている。
ここでスカーレットはお嬢様では無くなるのだ。
自立し、リーダーシップすら備えた、大人のアメリカ人として屹立している。
子供じみた世界観とキッパリと決別しているのだ。
思わず筋書きを追ってしまった。
彼女は、現実世界に打ちひしがれて、子供のように自らを哀れむことよりも、世の不条理をしっかと見据え、勝ち抜くことを選んだのだ。
これはアメリカ人の心の原風景だろう。
地に這うような絶望を味わっても、何度でも立ち上がる誇り高さと、愛に関しては愚かしいほどの鈍感さが、スカーレットの魅力を永遠のものにしている。
それは後半のラスト、有名なこのシーンにも現れている。
Tara! Home. I'll go home. And I'll think of some way to get him back. After all... tomorrow is another day.
タラがあるわ!故郷に帰ろう。そして彼が戻ってくる方法を考えればいいわ。明日は明日の風が吹くわ。
今日という日がどんな苦境にあっても、明日になれば、物事はいい方向に転じるものであるという意味だ。
前向きにいれば将来いいこともある。 スカーレットは最後に愛する人までも失ってしまうが「私にはタラ(故郷)がある!」とどこまでも前向きだ。
この逞しさと前向きな姿勢が、アメリカを超えて、世界に共感の輪を広げる理由なのだろう。
今迄この名画を観ることなしで過ごしてきた。だからそれ程の映画好きにならなかったのかも知れない。
今回そう思った。
感性が瑞々しかった青春時代、この映画に出会っていたら人生が変わったかも知れない。それ程に素晴らしい映画だった。